ARTIST

Emeraldsの出演キャンセルに関して

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TAICOCLUB’13
6月1日(土)-2日(日)長野県木曽郡木祖村「こだまの森」

twitter、Facebook、Google +ではお知らせしておりましたが、
Emeraldsの解散により、TAICOCLUB’13への出演がキャンセルとなりました。

それに伴い、元メンバー2組がソロでのライブ出演に変更となりました。
Mark McGuire
Steve Hauschildt

なお、今回の出演者の変更、キャンセルによるチケットの払戻し等は一切ございませんので、ご了承ください。

2nd Line-upの発表は間もなくtwitter,Facebook,Google +,LINE@, ML等でお知らせ致します。

カテゴリー4のチケットはオフィシャルチケットショップにて
2月1日(金)00時より販売開始となります。
http://taicoclub.shop-pro.jp/

■カテゴリー4
販売期間 2/1(金)〜
前売券 12,000円
前売駐車券 3,000円/1台

■当日券 13,000円(前売券完売の場合、販売無し)
※全て税込

<< Artists Biography >>

Mark McGuire
先日Emeradlsからの脱退を表明後、バンドも解散。4つの名義を使い分け、Real EstateのEtienne Pierre DuguayとのSilver Futures、Daniel Lopatin (Oneohtrix Point Never)とのSkyramps 等、様々な活動を行っている。膨大な量の作品をリリースし、非常に多作なアーティストの1人と言えるだろう。

Mark McGuire (of Emeralds) @ La Suite – Paris

Steve Hauschildt
Emeraldsではシンセサイザー/キーボード奏者として活躍し、2011年にはKranky Recordsよりソロアルバム’Tragedy & Geometry’をリリース。

Steve Hauschildt – “Interconnected” (Official Music Video)

2013-1-22nd

おまえらwwwいますぐTAICOCLUB’13 The 1st Line-up見てみろww

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TAICOCLUB’13
6月1日(土)-2日(日)長野県木曽郡木祖村「こだまの森」

いよいよクリスマスも目前となりましたが、皆さん予定は決まりましたか?
そんな事はお構いなしで、TAICOCLUBからは1st Line-upをお届けします。
以下の3組の発表となります。

Clark
DIAMOND VERSION + Atsuhiro Ito
Emeralds
Mark McGuire、Steve Hauschildt

WARPの看板アーティストClarkがTAICOCLUB初出演。
そして、2011年にはcyclo.として衝撃のライブを披露した
Carsten NicolaiのスペシャルユニットDIAMOND VERSION。
更に、新世代の旗手Emeraldsが日本初LIVEを披露する。
まさにTAICOCLUBらしい、1st Line-upとなりました。

2nd Line-upの発表はtwitter,Facebook,Google +,LINE@, ML等でお知らせ致します。

チケットはオフィシャルチケットショップにて発売しております。
カテゴリー3のチケットも販売終了が近づいておりますので、お早めに!!
http://taicoclub.shop-pro.jp/

■カテゴリー3- 発売中
販売期間 10/1(月)〜 1/31(木)
前売券 10,500円(限定 1,000枚 終了次第カテゴリー4へスライド)
前売駐車券 2,500円/1台

■カテゴリー4
販売期間 2/1(金)〜
前売券 12,000円
前売駐車券 3,000円/1台

■当日券 13,000円(前売券完売の場合、販売無し)
※全て税込

<< Artists Biography >>

Clark(WARP)
21歳で“WARP”からデビュー。アルバム発表ごとに新たなスタイルを取り入れ、
IDM/テクノという枠組みにとらわれない作品は多くのファンを魅了してきた。
Aphex Twin、Autechre以降のUKテクノ・シーンを更新する、現在の“WARP”を代表するアーティスト!

Clark Live @ Club 2 Club Festival 2012, Turin, Italy

DIAMOND VERSION (ALVA NOTO + BYETONE)
Carsten Nicolaiと“raster-noton”の共同設立者BYETONEによるスペシャル・ユニットDAIAMOND VERSION。
2013年にはUKの老舗レーベル“MUTE”からアルバム・リリースを控えているとあって大注目。
TAICOCLUBでは、オプトロン奏者(蛍光灯の放電ノイズをアンプリファイドして演奏する)
伊東篤宏を迎えてのLIVEパフォーマンス!

Diamond Version – EP 2 – Science for a Better Life

Emeralds
John Elliott、Steve Hauschildt、Mark McGuireの3人によるEmeralds。
独特のエクスペリメンタルな作風は、Terry RileyやManuel Goettsching、Tangerine Dreamの
現代的解釈とも称される。
2010年“dition mego”よりリリースのアルバムが、「Pitchfork」にてBest New Albumを獲得しており、
今もっとも目が離せないアーティストである!

Emeralds – Candy Shoppe

2012-12-21st

Pépé Bradock

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Pépé Bradock

フランス出身、Pépé BradockことJulien Augerは、14歳のころギターを始めることでその音楽キャリアをスタートする。Hip HopのイベントでDJをし、また楽曲制作を開始するなど多彩な活動に手を染め始めたJulien。この頃、90年代初頭にフランスで普及しつつあったレイブ・カルチャーに影響を受け、テクノやハウスといった音楽に出会うことになる。
1996年には、フランスのArkとともに結成したTrankilou名義でデビュー。またPépé Bradock名義でのソロ活動も開始し、ディープ・ハウス界でも異端の才能として知られることになる。その後は、Blaze、Cassius、Alex Gopherなど多くのアーティストのremix作品を手掛け、自身のレーベル“Atavisme”からは、名曲「Burning」などカルト・ヒットを連発。彼のレコードをDJバックに忍ばせ、とっておきの時間にスピンしようと狙っているDJは数多い。
記念すべきtaicoclub第1回にも出演してくれたPepe Bradock。今年も多くのリリースを控え注目を浴びる中、待望の再出演!

2012-4-15th

いちろう

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いちろう

いちろう/柴田一郎

2010年3月に解散したロックバンド「ゆらゆら帝国」のドラマーであり、ソロでは電子音楽家としてライヴ、制作活動を行う孤高の音楽家。1997年 ゆらゆら帝国にドラマーとして加入。数々の名盤、名演を世に解き放つ。o.n.o(Tha Blue Herb)、 asa(JBR)とのユニット「shigam」でミニアルバムを発表。2007年の年末、突如PCでの音楽制作に目覚める。2010年より宝生久弥の主宰するレーベル「ScapeRec,Tokyo」に合流。同時に「SELECT ZERO電子音楽実験室」を宝生久弥と共に主宰。 2012年1月待望の1stアルバム「Fle Electric」をリリース。

2012-4-15th

OGRE YOU ASSHOLE

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OGRE YOU ASSHOLE

出戸学(ギター、ボーカル)
馬渕啓(ギター)
勝浦隆嗣(ドラム

www.ogreyouasshole.com

2012-4-15th

Takkyu Ishino

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Takkyu Ishino

Takkyu Ishino

1989年にピエール瀧らと”電気グルーヴ”を結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル”Love Parade”のFinal Gatheringで150万人の前でプレイするという偉業を成し遂げる。1999年からは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ”WIRE”を主催し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2004年は約3年振りとなるアルバム『TITLE#1』、4月には『TITLE#2+#3』(2枚組)を2ヶ月連続でリリース。その海外編集盤『TITLES』はヨーロッパ・アジア各国でもリリースされた。2005年は4枚目となるDJ MIX CD『A PACK TO THE FUTURE』をリリース。2006年はTOKYO No.1 SOUL SETの川辺ヒロシと新ユニット“InK(インク)”を結成し、オリジナルフルアルバム『C-46』を、2007年にはInKのセカンドアルバム『InK PunK PhunK』を8月にリリース。2010年8月には6年振りとなるオリジナルソロ作品『CRUISE』をリリースした。

www.takkyuishino.com/

2012-3-30th

Ricardo Villalobos

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Ricardo Villalobos

Ricardo Villalobos

・出生
ぼくは、1970年8月6日にチリに生まれた。ヒロシマに原爆が落ちた日から、ちょうど25年後に生まれたことになる。そう、1時頃に生まれたから、日本時間でいうとヒロシマに原爆が落ちた朝8時のことで、ぼくはまさに、ヒロシマの原爆からちょうど25年後に生まれたことになるんだ・・・。

・家族
ぼくの母はドイツ出身で、チェコ人とドイツ人のハーフだ。そして4分の1はイタリア人、4分の1はチリ人の血を受け継いでいる。父は純粋なチリ人だから、ぼくは半分チリ人で、4分の1はイタリア人、4分の1はドイツ人ということになる。
母は大学でジャーナリズムを教え、父も同じく大学で物理と数学を教える教員だった。1973年、ぼくが3歳の頃、チリで軍事クーデタがあって(民主的なアジェンデ政権を、ピノチェト将軍がクーデタで転覆した)、ぼくは母の親族のいるドイツへと亡命した。独裁と、右翼による軍事クーデタで、母国を離れることを余儀なくされたんだ。拷問されたり、死に追いやられた父の友人もいた。全てがおぞましいものだったんだよ。
でもぼくはドイツへ亡命できてラッキーだった。だってもしそのままチリにいたら、ぼくはアカデミックな家庭で育ったから、もっと普通の、ある種の技術者みたいな職業に従事していただろうから。南米では専門的な技術者になるか、ただふつうに働く労働者になるかという選択肢以外に、職業として選びうるものなんてないんだよ。ヨーロッパならその可能性がもっとたくさんあるだろう?例えば音楽とかアートとか、そんなことで生計を立てる、幅広い人生の選択肢が。でも南米にそんなものはないんだ。

・アートやビジュアル・アートに興味を持ったことはある?
いや、ないよ。でも、ある男のホームページがあって(確か彼はエクアドル出身だったと思う)、彼がぼくと同姓同名なんだ。そして彼は、映像作家であると同時に、料理もうまい。ときに人生相談にも答えるようなかんじで、多くの人が彼をぼくのことだと思っているんだよ!人生相談をしてステキなレシピを提案する・・・、ときどき知らない人がぼくに寄ってきてこう言うんだ。「あのレシピはすばらしいね」って!そりゃもう、彼らがそれをぼくと思うままに放っておく。だってそのホームページはぼくにとって素晴らしいプロモーションとなっているからね!(一同笑)

ぼくは、父方の家系から音楽的資質を受け継いだ。ぼくの家族たちは、チリではいまだによく知られたミュージシャンだよ。父は、Parra家とVillalbos家の出身で、特にParra家は、とても音楽的にすぐれていた。チリの音楽シーンにとって、とても重要な一族なんだ。例えばVioletta Parra。彼女は、チリでもっとも重要なアーティストだよ。フォーク・ソングを通じた社会変革を目指した運動の先駆者だった。他にもいろんな人がいるけど、特に叔父(父の弟)は、ほんとうに天才だと思うよ。彼はギターを弾くことばかりしていて、完全にcrazyだったんだ。彼は30年の間、自分の世界に閉じこもって暮らした。周りのみんなも、彼は本当に頭がイカれたんだと思っていたよ。でもぼくは、本当のところ、そう思っていないんだ。ぼくは、彼が正気でないふりを装っていたのじゃないかって思ってるんだよ。彼は大人の責任なんてやつを持ちたいとは思わなかった。朝、目が覚めて、毎日仕事に行くなんて真っ平だと思っていたんじゃないかと推測しているんだ。だからある日、心を決めて、妻や子供たちへの責任を一切捨て去った。たぶん、ぼくもそのうち同じようにするかもしれないけどね(笑)。愚者を装って生きていくこと――、これは究極の自己満足の形なんだと思っているよ。
そう、とにかくぼくは数学と音楽に囲まれて育った。実際、このふたつはとても似ていると思うよ。音楽って、感情の数学(mathematics of feelings)のようなものだ。音楽と数学は、確かに関係が深いと思うな。

・音楽のルーツ
子供のころ、誰かが僕にギターを与えてくれたのだけど、とってもつまらないやって思った。ぼくはいったん習い始めれば覚えるのが早いんだけど、飽きるのもまた早いっていうタイプの人間でさ。 色んな事に才能があったと思うのだけど、ちょっと練習しなきゃいけないとなるとすぐ投げ出して。自動的に習得できるのであればいいのだけど、練習しなきゃいけないとなれば、もうすぐ他のものに興味が向かうのさ。だからギターに飽きるのも早かったね。でも本当のところは、心の底から後悔してるのだけどね。僕の人生におけるもっとも大きな欠如は、ギターやピアノを習得していないことだと思ってるよ。
10歳のころには、コンガやボンゴといったパーカッションを始めた。音楽はとっても好きだったけど、ミュージシャンになろうだなんて思ってなかったな。そのころは、パーカッション系の南米音楽を聞いていたけど、ある意味で南米音楽は、リズムとメロディの完璧なミックスチャーだと思う。メロディは常にメランコリックかポジティブなもので、それは人間が、メランコリックであるか幸福であるという考えに立脚しているからだ。そう、だから南米音楽は、常に人々をある気分へと向かわせる。それはとても素晴らしいことだよ。この影響はぼくの音楽にもあって、ぼくの音楽でも、メロディがこの両者―メランコックとポジティブ―の間の境界線上にあるといえる。
ある意味、ぼくたちがダンスするときに聞いているエレクトロニック・ミュージックは、アフリカと南米のパーカッション・ミュージックととても似ているよね。一方では、人々が何時間も何日も踊り続けるような、例えばサンバみたいなパーカッション・ミュージックもあって、人々が我を忘れて、現実を忘れることができる。これは、テクノの考え方や音楽構造と同じものだ。だから僕がアコースティックなパーカッション・ミュージックから、エレトロニックなパーカッション・ミュージックに興味が移るのは自然なことだった。僕のパーカッション・ミュージックについての知識は、全てエレクトロニック・ミュージックでの音楽活動に役立ったよ。ぼくは子どもの頃、何時間もパーカッションでセッションしていたんだ。それこそ夜通しね。両親は音楽関係の友達が多かったから、南米中の音楽家たちとセッションしたんだ。ほんの子どもの頃の話しだけどね。いつも皆がダンスせざるをえない音楽というやつを目の当たりにしていた。これは僕を虜にしたな。ミュージシャンとしてぼくは、なぜ人は踊るのか、ダンス・フロアーにおける真理とは何か、「ダンス」の背後には何が隠されているのか?そんなことばかり考えてきたよ。ぼくたちの世代は、今の若い世代のDJ達と違って、レコードを選択することや、音楽の趣味を提案することがだいぶ難しかったといえる。ぼくたちの頃は多かれ少なかれ、自分で自分のスタイルを考えなければならなかったんだ。情報のパッケージングなんてことは、まったく想像も及ばなかったからね。でも今の世代は違う。何がDJとしてプレイされるべきであり、どんなテイストで選曲すればいいのか、それから時代にあった曲調とか機材、クールな装いといったようなものが、全てパッケージングされているんだ。だから若い世代は、こうした環境を享受して、この情報の枠中で音楽活動をするのであり、自分自身で何ごとかを発見するような手間を省くことができるんだよ。
ぼくはミュージシャンとして、若い世代にぼくの知っている知識を伝えることがもっとも素晴らしいことだと思っている。今までもずっとそうしてきたし、アーティストとして、また一人の人間として、若者たちに、政治的考えであれ音楽的知識であれ、自分の培った知識を伝えていくことが、唯一の使命だとすら思うよ。才能のある、尊敬すべき人々に、自分の考えを伝えていくことは本当に大事なことだと思うよ。ぼくの父も、実際そうしていたんだ。ぼくの家族はいつも教えることに精力を注いできた。力学、文化、地理、数学なんかの知識をね。ぼくは幸運にもそれを享受することができたんだ。だからこれからは、ぼくが若い世代やぼくの家族に、こうしたこと伝えていく番なんだ。
・ファースト・プロジェクト
ドイツのフランクフルト近郊の学校に行っていたんだけど、そのころ小さなバンドを結成した。田舎の小さな町で、都会から離れて育ったんだけど、田舎で育って本当によかったと思っている。
子供のころは悪ガキで、スポーツや、音楽の演奏ばかりしていたな。Santanaや、ラテン・ロックみたいなバンドを真似して演奏していた。もちろん、パーカッション担当さ。それから、Depeche Modeを聞くことでエレクトロニック・ミュージックへ関心が移った。15歳のころだったね。僕にとって彼らは、80年代の人々にとってのBeatlesみたいな存在さ。その頃にはDJも初めて、この頃にぼくは大切な友人たちと出会った。例えばPlayhouseのみんなとか、その後のぼくの音楽人生とって重要な友人たちとね。

1992年には初めて自分の楽曲をリリースする。当時ぼくは、廃墟となったビルや高速道路の橋の下で、アンダーグラウンドなイベントをオーガナイズすることで、ダルムシュタットやフランクフルトでちょっとした有名人になる。このイベントに参加した人たちは、いまだに目を輝かせてこのイベントの思い出を語り出すよ・・・。
このころAtaや Roman Flügel、そしてJörn Elling Wuttke (Alter Ego)なんかと出会った。そして“Playhouse″からリリースすることで、このレーベルのクルーたちとチリの月食レイブへツアーすることになるんだ。これが初めて母国へ再び訪れる機会となった。このツアーで、ぼくやAtom Heart、Dandy Jackといったチリの血が流れるみんなは大きなインパクトを受けたものだよ。
その後1995年にはイビザを訪れ、この国を第3の祖国だと思うようになる。クラブAmnesiaでCocoonのイベントに参加するようになり、その後Cocoonの一員となるんだ。

・DJING
もちろんDJは大好きさ。いわゆる仕事なんてものじゃないね。もっとボランタリーな対象だ。DJをしていること自体が大好きだし、人々をダンスさせるのがこの上ない喜びなんだよ。ぼくはDJの間、踊ったり跳ねたり、大げさな身振りをしたりはしない。そういうのは、ぼくのスタイルじゃないね。みんな音楽に集中する必要があると思うし、また一方でダンスフロアの雰囲気に身をゆだねていることも重要だ。リラックスしていることも大切なことだと思うよ。こうしたことは、人々が期待しているようなレコードの間に、ちょっと一見わかりずらいようなレコードを挟んでくる、ぼくのようなスタイルがぴったりなんだと思うよ。もちろん、みんなそれぞれのスタイルがあって、それでいいと思うのだけど、ぼくのDJスタイルはずっとそういうものなんだ。

2012-3-30th

MOTOR CITY DRUM ENSEMBLE

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MOTOR CITY DRUM ENSEMBLE

MOTOR CITY DRUM ENSEMBLE

Motor City Drum EnsemboleことDanilo Plessow。兄弟全員が楽器を弾くこと、という家訓に従い6歳のときよりドラムを始め、その音楽キャリアをスタートさせる。11歳にしてJazzに目覚め、コンピューターやサンプリングを用い作曲活動を開始。JazzやSoul、FunkやHIP HOP、そしてHouseミュージックという黒人音楽に出会うことでその才能は開花。16歳にして“Stuttgarts Pulver Records”よりデビューを果たすという早熟の天才である。
その後、Joachim Tobiasとともに「Inverse Cinematics」を結成し、“COMPOST”などの優良レーベルから7枚の12インチレコード、1枚のLP、それに多くのリミックスやコンピレー ションをリリース。このプロジェクトによる作品は、今でもGilles Peterson、Rainer Trüby、Benji Bといった、ヨーロッパ中のトップ・DJ達のフェイバリット・レコードとして知られている。
2008年には、SoulやDisco、Detroitや90年代のシカゴ・ハウスから影響を受けたハウス・ミュージック・プロジェクト「Motor City Drum Ensemble」名義を開始。自身のレーベル“Raw Cuts”から数枚のシングル・リリースを果たすことで、一躍Deep Houseシーンのトップスターダムへと上り詰めることとなる。彼の音楽は、漆黒のファンクネスにデトロイト・マナーのコード進行が特徴的ながらも、いい意味で非黒人の「ブラック・ミュージック」であることをはっきりと意識させる曲調が独自の世界感を切り開いており、MoodymannやTheo Parrish以降の次世代「デトロイト・ハウス」とも、「モダン・ディープ・ハウス」とも形容される、ハイブリッドで新たなハウス・ミュージックの地平を切り開いた。
この数年も自身の楽曲のリリースのみならず、リキキサーとしても引っ張りだこの彼。2011年は、“Studio !K7”の人気DJ Mixシリーズ「DJ KICKS」も担当し、Sun RaやRhythm & Soud、Tony AllenやMr,Fingers、Aphex Twinといった幅広い選曲をmixすることで多くの話題を集めた。

http://motorcitydrumensemble.com/

2012-3-30th

MOODMAN

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MOODMAN

MOODMAN

ムードマン。DJ。高橋透、宇川直宏とタッグを組んだパーティー<GODFATHER>を筆頭に、<HOUSE OF LIQUID>@LIQUIDROOM、<SLOWMOTION>@MODULE等のレジデントとして、年間100本を超す地下パーティーに出演。東京の夜を活性化させている。最新リミックス・ワークは、フルカワミキ、FRAN-KEYなど。ミュージック・マガジン誌の連載「今夜もシングル」をはじめ、執筆も多数。

2012-3-30th

クボタタケシ

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クボタタケシ

クボタタケシ

1991年、伝説のラップグループ「キミドリ」のラッパー/サウンドクリエイターとして活動を開始。1993年、アルバム『キミドリ』と、1996年『オ.ワ.ラ. ナ.イ』の2枚の公式作品を残してキミドリはその活動を休止するが、クボタはその間から現在まで数々のリミックス、プロデュース、そしてDJとしての活動を継続中。中でも1998年にスタートしたミックステープ『CLASSICS(1~4)』シリーズはオールジャンル・ミックスの新しい扉を開き、東京から全国のクラブまで熱狂的なフォロワーを生み出す。また2003年秋に初のオフィシャル・ミックスCD『NEO CLASSICS』を、約5年のブランクを経て2008年秋に待望の第二弾、『NEO CLASSICS2』をエイベックスよりリリース、いずれもミックスCDとしては異例の好セールスを記録。そして2009年3月にはユニークな人選が毎回話題となるミックスCDシリーズ『ストリクトリー・ロッカーズ』からクボタタケシ・ミックスがリリース。80年代から90年代初頭までのラガマフィン・ヒップホップ、ヒップホップ・レゲエに特化したこの作品は、「他の追随を許さない」という表現自体を他に許さない、圧倒的なオリジナリティを誇り、初回プレス盤は瞬く間に店頭から姿を消すなど人気の底力を示す。また同年11月にはシリーズの続編『NEO CLASSICS3』と日本人アーティストのみで選曲された『ミックスシーディー』を同時リリースするなど異例のリリース・ペースに待望度業界ナンバー・ワンとも言われるオリジナル音源の発表に向けての期待も更に高まるばかりである。

2012-3-30th